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考えーる

『要は側にいたいから心がくっ付いたのだ。
体をくっ付けたから。』



人のセックスを笑うなの文。

なんかずるいよなー
ずるすぎる。

あぁ、恋人同士って、そもそもこうやってなるのか。

心がくっ付いて、体がくっ付いて。

すごいな、山崎ナオコーラさん。

素敵な言い回し。

すんなり入ってくる言葉。

言葉が好きです。







自分がいっぱいいっぱいな時、誰かに助けてってさえ思えないくらいいっぱいいっぱいな時、

周りにいる人達はどうしてあげたらいいんだろう。

そんないっぱいいっぱいな時ってまさにガラスの心。それも薄ーいの。指でちょんってしたら、粉々になるくらい。

大丈夫?や、頑張ったね、なんて、いつもは優しい言葉も、その薄ーいガラスを粉々にする鋭利な言葉になる。

さて、どうしたらいいでしょう?





なんでこんな、救いも求められないくらい、救いに期待がなくなるくらいまで、気付いてあげられなかったんだろう…ってなる。



いっぱいいっぱいになってしまったその誰かが、一分でも早く、穏やかな気持ちになれますように。



もし、そんな人が近くにいたら、みんなはどうする?

あげこはわかんない。

自分は無力だって泣いてしまうかもしれない。

ただ、言葉って、そのままを鵜呑みにしたら痛い目にあうこともあるぜってことに気付いた。はたと。

本やブログで、活字だけで誰かに何かを伝えるためには、的確な表現かつ、ユーモアが必要だけど、

声を出して言葉を発する時も、

「ウザイ」だとか「うっとうしい」だとか「あっちへいけ」だとか、そんな暴言の中に、「助けて」や「気付いて」なんかのSOSが混じってる事があるような気がする。

とくにいっぱいいっぱいな人が発する暴言は、「助けて」なんだとおもう。

それを拾って、それに気付いて、その為には何をしてあげたらいいか…ってわかって、それをもってその誰かを穏やかな気持ちにさせる事ができたら…



できたら…



できたら神だね笑



いや、みんなにじゃなくていい。

それをし合えるのが本当の意味でパートナーなのかもな。

家族なのかもな。

親なのかもな。

親友なのかもな。




なんかそんな事まで考えてしまいましたよ、ナオコーラさん。

暇だと人間は考えるんだって。

え?あたし暇な人間笑?

暇人サイコー。こんな素敵な事考えられたもの。

機械じゃないんだからさ、せっかく考える力があるんだからさ、

どうやったら誰かを陥れることができるかだとか、どうやったら誰かより優れられるかだとか考えるより、どうやったら誰かを幸せな気持ちにさせられるか、どうやったら自分も幸せな気持ちでいられるかを考えた方が人生ハッピーさ♪うん。

つまり今あげこが暇人ならば、あげこはそれを幸せと思う。

考えられる時間が今あることに感謝することにする。





あげこのスキなカノジョが言ってた。

迷ったら、どうしたらかっこいいかなって考えるんだって。

かっこいい方がめんどくさいことでも、かっこいい方を選ぶ。

自分の価値観でいいの。

そしたら全てうまくいくんだって。

ロックンロール笑!!!




まぁ、そううまくいかないのが人間。
それもいいのさ。愛嬌だと思って受け入れましょ。

とりあえずあげこは喉が痛いので、明日に備えて大人しくしておきまぷ☆